鈴木 雄也 初段(静岡本通道場指導員)
〜2008年2月24日取得〜

不撓不屈

 自分が入門したのは、7年前の小学5年の夏でした。その頃の自分は、喧嘩をすれば女の子にも負けてしまうほど華奢で大人しく、自分という存在に全く自信が持てていませんでした。 親もさすがに危機感を感じたのか、自分は嫌々ながら道場の見学に連れて行かれました。道場に入ってしばらくすると、長澤先生の号令の下、稽古が始まりました。その時、自分の目に飛び込んできたのは、厳しくもどこか楽しそうで、そして何よりもかっこいい先輩たちの突きや蹴りでした。嫌々であった自分はいつの間にか消え、その日のうちに入門を決意しました。 入門してしばらくは右も左も分からないような状態でしたが、次第に慣れていき、1年後には青帯になりました。そして、その年の冬に始めて試合に出場しました。そこで対戦相手にボコボコにやられ、とても悔しい思いをしました。その後も勝ちたいという思いを持って一生懸命稽古しましたが、思うように結果がついてこず、出れば1回戦負けという試合が続きました。でも、負けるたびに長澤先生が「悔しい思いをした奴ほど強くなる」と励ましてくださり、中3の最後の試合で3位になることができました。初めてもらったメダルは、何よりも輝いて見え、寝るまでずっと眺めていました。 受験も終り高校生になって道場に復帰した頃、長澤先生に「高校3年間で黒帯を取るつもりで稽古しろ」と言われ、その時は正直「いくらなんでも自分にまだ黒帯は荷が重過ぎるんじゃないか」と思い、昇段というものについては確固たる決心がありませんでした。 しかし、稽古を積んでいくうちになかなか勝てなかった試合もだんだん勝ちあがれるようになり、型についてもただ順番通りなぞる型でなく、相手を倒すという気迫を持ってやれるようになっていきました。そうして黒帯取得という気持ちも次第に強くなっていき、高2の冬に型審査を受けることになりました。型については、高校に入った頃からしっかりと準備してきていたので、自信を持って行うことができました。結果はなんとか1回で合格させていただくことができました。そうして、いよいよ10人組手について本格的に動き始めました。 12月から4月まで、この4ヶ月間何をすべきかを考え、まず基礎体力の向上から始めました。拳立ても300回400回と順調に回数が伸びていき、うまくスタートを切れたかと思ったその矢先、1月に入ってすぐの稽古で利き手である左手の靱帯を切ってしまいました。そのため3月頃まで組手稽古やミットの打ち込みを行うことができず、とても落ち込みましたが、「ここで組み手ができない分、他に何かできるんじゃないか」と前向きに考え、ひたすら補強とシャドーに打ち込みました。 おかげで怪我が治り2ヶ月ぶりぐらいにミットを打ち込んだとき、今までよりもはるかに力が付いていて、「ああ、あそこで怪我をしたことにも意味があったんだな」と思えるほどでした。 そして、10人組手も1週間に迫りました。しかし、今度は左足を怪我してしまい、歩くのがやっとの状態になってしまいました。また、その頃精神的にもとても辛いことがあり、気持ちばかりが焦り、本当に泣きそうになりました。でもそんな時に、先生、先輩方が自分の事のように心配して励ましてくださり、何とか当日を迎えることができました。 当日はもう「ここまで来たらやるしかない」という気持ちで、結果は考えず、とにかく自分に負けないつもりで向かっていきました。3人目くらいまではなんとか戦えたのですが、4人目5人目になるとだんだん足の踏ん張りが利かなくなり、息も上がってきて、とても苦しくなりました。そんな中で、審判をしてくださった長澤先生、セコンドについてくださった聡先生はじめ、道場の先輩や仲間、ご父兄の皆様の声援がとても暖かく、なんとか10人目まで一心不乱に喰らいついていくことができました。 10人組手が終り大石主席師範と握手をしたときは、「やり遂げたぞ」という気持ちでいっぱいになりました。 最後になりましたが、今回昇段を許してくださった大石主席師範、これまで指導してくださった長澤先生、聡先生、諸先輩方、一緒に汗を流してくださった道場の仲間達、いつも暖かく見守ってくださったご父兄の皆様、そして対戦相手を務めてくださった皆様、このような機会を与えてくださりありがとうございました。ひ弱な自分を変えてくれた極真空手との出会いにとても感謝しています。これからも一歩一歩黒帯として恥じぬよう『不撓不屈』の精神で精進してまいります。 これからもご指導のほどよろしくお願いします。 

                                               押忍