高木 康行 初段(清水中央道場所属)
〜2008年2月24日取得〜


 始めに、この度昇段審査の機会を与えていただきました大石代悟主席師範に心から お礼申し上げます。
 私、空手をもう一度やってみようと思い立ったのは、50歳も半ば近くに差し掛か かるときでした。
 ある日、朝の通勤途中、清水駅の港湾側の建物に、一際くっきりと「極真カラテ大 石道場」の看板が目に止まりました。
 また帰りがけ、暗がりのある一角に、スクリーンに映し出されたかのように、道場 生の方々が稽古に励んでいる姿を時々お見かけすることがあり、懐かしく思いました。  それから少しばかり経って、家内に清水駅の近くに道場があることを告げると、思 いもよらず「通いたいんでしょ」、と返ってきました。
 もう年も年出し、体力的にも不安でしたが、長い間何か忘れ物をしてきたかの思い もあって、思い切って入門することにしました。
 当時、鈴木先輩・窪田先輩が指導しておられました。
 私にとって稽古はきつく、掛け声についていくことが精一杯でした。
 追突きでは足がもたつき、組み手では三ラウンドが限度でした。
 両先輩からは、「手を抜くんじゃない。全力を出し切り、力尽きたときは、ぶっ倒れ ても良いから」、常々言われておりました。
 ある日、どうしてもついて行けず、中断を申し出たことがありました。
 新しく入門した方々も先輩と一緒に稽古をしているのです。
 私以外に休んでいる人はいません。私は先輩のご厚情に感謝しながらも、自らリタ イヤしてしまった自分に腹が立ちました。
 屈辱でした。そして、私以外の道場生が凛々しく見えました。
 こうしたふがいない日々が続いていた頃、ある時、出稽古先で清水北道場の伏見先 生が「道場というのは、弱い自分をさらけ出す所なんです」と言われました。
 「とにかく愚でもよい、我慢してみんなについていこう。そして年のせいにするな」、 こう自分に言い聞かせました。
 その後、稽古を続けていく中で、徐々に体力的にも自信がつき、通常の稽古につい ていけるようになっていました。
 いつのまにか、6年の月日が経ちました。
 昨年の9月、審判講習会が終了したとき、大石師範に呼ばれ、「来年2月公認審査が あります。受けてみてください」とのお言葉でした。
その後、師範から沼津本部道場で参加者一同、直接指導を受ける機会を得ました。
感激でした。二時間半、休み無し、厳しい稽古でした。
終了日の帰り際、「高木さん、今回はあなたの集大成でしょう。命を懸けてやって ください」。その言葉は、ずしっと響いてきました。
 私は自問しました。「今まで命をかけてやったことがあっただろうか。これは大変な ことになってしまったな」、と。
 「命を懸けるということは、身も心も極真空手に捧げ、雑念を持たず、全身全霊を 持って稽古に打ち込むこと。年齢の壁を越えるにはそれしかない」という意味でした。
 何も考えずに、只ひたすら稽古に打ち込むこと、これなんだ。
 「あと一週間しかない。でもいい。悔いの残らないようやってみようと」、そう心 から思い立ちました。
 当日の審査は、緊張の連続でした。
 終了後、清水中央道場の参加者の方々と共に、師範のところにご挨拶に行くと、笑 顔で「皆さん、頑張りましたね」。ねぎらいの言葉が返ってきました。
 私は、熱いものがこみ上げてきました。
 そして、この度、私のような者でも黒帯を締めることを許されることとなりました。  「緊張感を持ち続けるということ、それが自分自身という人間をしっかりしたもの に創ってくれるんだ」。
 大石師範、大変ありがとうございました。
 最後に今回熱心に指導してくださった伏見先生、諸先輩方、清水中央道場及びしず おか社会保険センター道場の皆様方に深く感謝します。
 これからも心を引き締め、身体の続くかぎり稽古に励み、極真空手の黒帯に恥じぬ よう精進して参りたいと思います。

押 忍