ナシメント=ニルトン 初段(竜王道場)
〜2007年08月26日取得〜

 押忍

 

 ブラジルサンパウロで極真空手道場に初めて入って、22年目を迎える。
 子供の時に、空手の映画が好きで好意を持っていつも見ました。お母さんに、空手の稽古をしたいとお願いしました。でも、自分の家の近くに極真空手道場がありませんでした。父母に車が無く、道場に通うには困難な状況です。たまたま、お母さんと出かけた時に、道場の看板を見かけ、道場の様子を見るために中に入りました。夢の中にいるような感じで、事務所に日本語の字の写真がいっぱいあった。一番印象に残ったのは、黒帯の賞状でした。道場は、事務所より全てが見渡せます。試合等の写真、左右に総裁の写真がキレイに並べられていた。全てを把握したが、多少自信が無くなりました。事務所の丁寧な説明で、初めて大山総裁の極真空手だと分かりました。自分自身、稽古をするのであれば極真空手だと決めてたので、偶然に一致してとても感激しました。
 それらにより、母に入門の許しを得たが、自宅と道場が遠かった為、すぐに入門できませんでした。待ちに待ち、14歳で入門できました。その時、父からはもっと別の事を学んだらいいんじゃないかと言われたが、母の協力があり、現在に至ってます。母は、一度決めた事は最後まで続ける事が前提でした。道場に通う時間は片道1時間半かかりましたけど、一生懸命稽古に励みました。
 ブラジルの道場では、とても厳しい稽古で気合いがなければ竹刀で一括されました。結果、4級まで取得できました。ブラジル大会の事を時々思い出します。アデミール=コスタ選手、フランシスコ=フィリョ選手、他数人と、試合開催にあたり一緒に行動致しました。素晴らしい日を過ごした事。グラウベ=フェイトーザは、黒帯を取ったばかりの17歳で試合に出た。 また、彼の審査会の相手をし、勉強になりました。
 1997年に日本に来ました。生活を安定させる為努力し、極真会館大石道場に入門するまでに約10年かかりました。当初は、河口湖本部道場で、全て一から始めました。極真空手は生活と共にあり、気は抜けません。稽古をするにあたり、色々の事があった。先ず、稽古をするには、仕事との関係で時間の調整に苦労しました。又、家で妻の理解を求める為にも、色々話し合い、子供も含めよく話し合い、稽古の時間を作ってもらいました。全て、妻の協力であり、空手に関して理解してもらいました。
 月に一度、ブラジルから父母より連絡があり、その中で、空手の稽古についての内容を聞かれ、父は、現在では全てを理解していて、今では早く黒帯を取るようにと、気にしていました。私は、黒帯を取る為には、先ず道場訓を理解する事が第一であると思い、これらを勉強しました。又、今回は、時間調整をし練習出来る様に努力しました。今迄の反省は、時間が取れても稽古をしなかった事で、深く反省し、今後こういう事のないように努力しました。今日の稽古には明日の事は考えずに、一生懸命頑張ってまいりました。頭の中ではいつも、「練習が足りない、もっともっと」という気持ちで努力してきました。
 これらの結果で十人組手を行い、今まで努力してきたことを全て思いながら、十人を達成致しました。とても苦しい戦いでしたが、これからが空手の道、入り口だと自覚しています。今迄行ってきた事を認めていただき、やっと黒帯を取る事が出来ました。まだまだ指導いただき、もっと素晴らしい成長をしたいと思います。先ずは、主席師範大石代悟様、数々の先輩方に、ご指導いただき本当にありがとうございました。これからも宜しくお願いいたします。

                                         押忍