稲葉 魁士 初段(静岡南道場)
〜2015年03月01日取得〜


 自分がカラテを始めたのは、年長の一月でした。

 友達に「一緒にやろう!」と誘われ、道場に連れて行ってもらいました。 体験すると他に保育園の友達もいて、とても楽しくかっこ良かったので思いその日に入門を決めました。

 入門時、春の大会申し込みの時期で早速、柴田師範から『魁士君、強いね。試合に出てみませんか?』と声を掛けてもらいました。今思えば大それた事をしでかしたと思いますが、その日に試合に出る目標をもったのです。 しかい、案の定、小学1年白帯の自分は試合で勝てず泣いてしまいました。 当時同学年では南道場が上位を独占して、羨ましいと憧れていました。そんな中、半年遅れて姉が入門しました。その後、姉は何回も試合で勝ち、入賞をしました。 「僕よりあとに入ったのになんで勝てるのだろう」と疑問をもっていました。

  自分が初めて3位入賞できたのは、小学3年のチャレンジカップでした。 このときの喜びは今でも忘れません。 とてもはしゃいだのを覚えています。 しかしながら姉は優勝。みんなから褒められていたのは姉でした。悔しかったです。
 4年生になり、徐々に稽古が辛いと感じ始めました。道場に行けば師範に注意され、組手になれば細く小さい私は、同学年に泣かされていたからです。姉が稽古に行くなか、私は車の中に隠れ、皆に会わないように稽古を休んだこともありました。
 しかし試合は何回も出場しました。試合に出ると決めれば稽古に取り組んだからです。 出る試合ごと姉は入賞を重ね、他道場の先生方にも名前を覚えてもらっていました。姉と共に行動をする中、姉が声を掛けてもらい、私は「七星ちゃんの弟だね。」と言われ「僕は名前を覚えられてない。」と悔しかったです。こんな出来事が、きっかけに大変な稽古も一生懸命やり、グランドチャンピオン大会に出ると決めました。
 次の日から何事も一番になろうと思い、道場に行く時間を早くし、基本稽古から組手に移る時はサポーター、グローブを早く着け並ぶ様にしました。 自主稽古も始めました。始めたといっても何をしていいかわからず特待生の先輩に稽古内容を決めてもらいました。 サンドバックの打ち込み、補強、サーキット練習など先輩に合わせた稽古だったので最初はついて行くのさえ大変でした。
  小学5年の冬に山梨県大会がありました。 稽古への意識を変えたおかげか一回戦目から調子がよく決勝まで進むことができました。 決勝では身長差20センチ、体重は私の倍ある選手と戦いました。決勝まできて負けたくなかったので一生懸命やりましたが、手も足も出ず泣かされました。 しかし、閉会式で敢闘賞をもらうことができました。 ものすごく嬉しかったのを覚えています。 柴田師範は「勝って驕らず負けて腐らず。負けても頑張ってきたからいい結果がでたね。」と言って下さり、喜ぶ気持ちとこれからも頑張ろうという二つの気持ちを心に持ちました。

 小学校を卒業するまでには念願の優勝はなかったものの県外大会で入賞できるようになりました。中学に入学すると全学年混合の試合。中学生の強さを知りました。パンチの重さ、蹴りの速さ、試合の持ち運び方、全てで圧倒されました。
 学校の部活に入ろうか迷っていましたが、南道場には特待生という制度があり部活の代わりにカラテをやれば強くなれる、圧倒された相手にも勝てると思い特待生を選びました。

 特待生になったことで遠征、指導の回数が増え、柴田師範との距離が一段と短くなりました。 柴田師範との距離が短くなったことで怒られる回数も増えました。 指導では最初うまく号令をかけれず皆に迷惑かけてばかりでした。 指導を任されるたびに『先輩』という自覚がとても大切だと感じました。 試合も何度も出場しました。試合をするたび強くなっていくのを感じました。 中学三年生のときには先輩としての責任を果たせるように行動ができ、全国大会でも入賞できるようになりました。 これも特待生をやり、極真空手の稽古により深く携われたことがよかったと思います。 部活に入っていたら先輩の自覚を持てず、試合でも勝てていなかったと思います。

 そして一年前に高校に入学しました。 高校は部活が強制入部でしたがカラテに影響がない文化部に入り、中学時代同様、稽古に専念したいと思っていました。 しかし、図面を描く課題が稽古時間を侵していきました。

 今回の昇段審査のことは去年の夏前に師範から「このペースで稽古に来るなら黒帯受けれるよ。」と声をかけて頂きました。 その時は「よし、頑張ろう」という気持ちよりも「こんな僕が受けていいのか?」という気持ちでした。 それは黒帯というものは、この程度の頑張りでは取得できない物だと思っていたからです。

 とにかく稽古には参加し、試合に向けて稽古に取り組む、を繰り返すうちに11月の全国大会が終わっていました。 師範に「このまま頑張って黒帯受けよう。」と改めて言われ、この時は「よし、頑張るぞ」と不思議ですが前向きに考えることが出来ました。 審査までは不安だし、稽古も大変でしたが、橋本先輩も三段を取得するため一緒に、受審すると聞き、とても心強く、稽古も一緒に出来てさらに前向きになれました。 苦手な型も稽古し、また本部道場に出稽古にもいき大石代悟範士に直接基本から教えて頂きました。日下部先輩にも稽古を付けて頂きました。ある日は後輩たちに「がんばれ」と勇気づけられ泣きそうになったこともあります。

  泣き虫だった私が、ここまでこれたのは大石範士、柴田師範はじめ、先輩方、特待生の先輩、仲間、後輩みなさんのおかげです。またカラテを続けさせてくれた父、母、いつも先をいく憧れの姉にも感謝しています。 今回の審査会で黒帯を締める許可をいただきましたが、まだ力不足だと思っています。 これからはこの帯に恥じぬように誰もが認めるような黒帯を目指し、そしてこの場に推薦してくださった柴田師範、認めてくださった大石範士に恩返しできるようにしていきます。 ありがとうございました。そして一緒に稽古し、応援してくださった皆様ありがとうございました。 これからも宜しくお願いいたします。

 押忍