吉田 一晃 初段(静岡南道場)
〜2011年3月06日取得〜


 私が道場に入門したのは小学校の四年生のときでした。
当時の私は「泣き虫、弱虫、根性なし」と今自分で思い出してもどうしようもない子供で、母にも事あるごとに「女々しい」と叱られ、またその度にめそめそ泣いていました。
家から近いところに道場があったので泣き出すたびに「あんたみたいな弱虫は空手道場に入れるよ!」と脅されました。
その為、私にとっての空手道場の印象は「とても怖い所」となり、全力で嫌がった記憶があります。
ところがある日、「これじゃどうしようもない」と母に無理やり道場に引っ張っていかれたのが入門のきっかけでした。
入門した当初は入る前と打って変わり、思っていたよりも楽しいと感じて毎日稽古に通っていましたが、もともとの飽きっぽさもあってすぐに空手に飽きてしまい、次第に稽古に行く回数も減ってきました。
ですが気まぐれだった私は小学校6年のころふと思い立ってまた空手に通い始めるようになりました。

中学に入学し、やりたいと思う部活の見つからなかった私は、「特待生制度」の話を聞き、両親とも相談して「せっかく茶帯の一歩手前まで来たのだし、やりたい部活がないのなら、空手を続けてみよう」と特待生になることを決めました。
特待生になったばかりの頃は、小学校の時あまり稽古に参加していなかった私が特待生になったことを意外と感じる方もいたようでしたし、私個人としても他に特待生になることを決めた仲間が茶帯だったのに対し、私はまだ緑帯だったので、早く茶帯になって認めてもらえるようになろうと必死でした。
特待生としての活動は当然厳しいものでしたが、へこたれずに取り組むことができたのはそういったスタートダッシュの理由が明確であったことが自分にとっての支えになっていたのだと思います。

特待生になってから試合には積極的に参加するようになりましたが、中学一年のころは大会に出場してもなかなか勝つことができず、悔しい思いをしてきました。
しかし、師範をはじめ、たくさんの方々から励ましやご指導をいただき、中学二年の後半になった頃には年間5試合以上出場することもあり、試合の雰囲気にも慣れてきて、結果を出すことができるようになりました。
それに、結果が出てくるようになると大会や行事を通してたくさんの人々と接する機会が増え、気にかけて下さる先輩や先生方との交流や、試合で戦っているうちに友人といえる仲を作ることができたことは自分にとってとてもいい経験でした。

高校に入学すると部活動の入部が強制ということで、空手に支障のない文化部に入ろうと決めてはいましたが、友人に誘われたのとかねてからの興味で演劇部に入りました。
部活と空手の両立は自分で考えていたよりも時間的に難しく、また気安く接することのできる部活の仲間との時間も楽しかったため、つい部活に気持ちが傾くようになり稽古回数が減ってきてしまいました。
そんな中、初めてグランドチャンピオン大会に出場する権利をいただいたのですが、それが演劇部の公演と重なってますます部活との板ばさみに悩んでしまいました。その時は、周りの方の応援と両親からの励ましもあり、最後には「こんな大事な機会を逃していいはずがない」とグラチャンに出る決意をすることができました。

ところがその後すぐに事故でひざの靭帯を伸ばして松葉杖がないと歩けない状態になってしまいました。試合まであと2カ月を切った時期であったのに、全治6週間と診断され一瞬、諦める気持ちが湧いてきました。
こんなに悔しい思いをしたことはありませんでした。ですが絶対に出場したいという思いと、部活の仲間からの励ましで、頑張ってみようと決意を新たにすることができ、5週間で復活して大会に出場することができ、思いがけず高校生重量の部で3位という結果を残すことができました。
高校二年の冬に、師範から来年は黒帯の審査のお話を戴くことができたのですが同じ南道場の橋本先輩や崇人先輩を見てきた自分は、部活と空手で右往左往している自分を振り返っては「こんな自分が黒帯の審査を受けていいのか?」と疑問を抱いていました。
悩みを振り切るために部活動を顧問の先生や部員の仲間に頼み込んで引退させてもらったのですが、かえって部活への未練が大きくなってしまい、気持ちが固まらないうちにむかえた審査は散々で、補強もままならない上に十人組み手を迎える前に体力切れしてしまい、まともに打ち合うことができませんでした。当然結果に満足することができず、何より応援してくれた道場の仲間に対してみっともない姿をさらしてしまったことが情けなく思い、再審査に向けてうじうじと悩んでいた分を振り払うように練習しました。

最初の審査で圧倒的に基礎体力の足りないことに気づいたので、ランニングと補強に重点を置いて基礎体力の向上を目指しました。迎えた再審査で補強はまだ鍛える必要がありましたが、十人組み手は余裕を持って取り組むことができました。
今回、合格することはできましたが、自分としてはまだまだ多く鍛え学ぶところがあるように感じています。これから先、自分にも他人にも胸を張って黒帯を締めることのできるように精一杯自分を磨いていきたいと思います。

最後に、今回のことだけでなく、今まで多くの方々に支えられてきたからこそ、今の自分があると思っています。大石最高師範をはじめ、これまで自分を厳しく指導してくださった柴田自由師範、励まし、引っ張ってくださった道場の先輩方、応援の言葉をかけてくれた道場の皆様、いつも見守り、時に律してくれた両親、そのほか今まで関わってきた多くの方々に感謝し、これからも稽古に励んでいきます。

ありがとうございました。


押 忍