望月 一男 初段(静岡朝日道場)

〜2010年3月07日取得〜

 この度、極真連合会公認昇段審査会を受審させていただきまして、初段への昇段を許されました。大石最高師範をはじめ、静岡朝日道場の笠井先生、松浦先輩、曽根先輩、そして道場生の皆さん、日曜日の自主稽古等でご指導していただきました伏見先生、合宿などでご指導いただいた師範方、先生方,先輩方に御礼申し上げます。
 私が極真空手を始めるきっかけは40歳を過ぎ健康診断で中性脂肪が基準を超えて運動の必要性を感じていたときに、新聞広告でしずおか社会保険センターの極真空手教室を知ったことです。
 高校生の頃、竜南に極真空手の道場が出来たと聞き、興味をもったのですが、当時はとても入門する勇気がありませんでした。空手には興味が有ったので大学では和道流の空手同好会に所属し、市内の道場にも通って初段を取得しました。それ以来、本格的な運動はしていませんでしたが、憧れていた極真空手に挑戦することに決めました。
 大学で空手をやっていたとはいえ、20年近く経っていたため、最初の頃は稽古が思いのほかつらいときもありました。稽古中は全力を出すことを心がけていたので、稽古中に気分が悪くなりトイレで吐いたことも有りましたが、笠井先生、松浦先輩をはじめとする諸先輩方のご指導のおかげで上達することが出来ました。
 茶帯になってから2年で黒帯に挑戦することを目標にしていましたが、1年半くらい経ったときにインピジメント症候群で肩を回せなくなって、裏拳回し打ちや拳立てが出来なくなりました。そこで、しばらく黒帯挑戦は難しいと考え、気持ちを切り替えて、第1回東日本型大会に照準を合わせ、昼休みに型の練習を始めました。肩の痛みは10ヶ月ほどでほぼ解消し、その後、第2回東日本大会、そして型審査に向けて練習を積み重ね、茶帯取得から3年目に夏季審査会に申し込みをしました。しかし、審査会1週間前の組手練習であばら骨を痛め、3日ほど様子を見ましたが痛みが引かず、回し蹴りが出来ない状態のため、冬季審査会を目指すことにしました。
 そして、いよいよ迎えた審査会は茶帯の受審者が私一人だけで緊張しましたが、道場稽古以外に1年半にわたり昼休みに繰り返し練習してきた型をすべてやり終えることが出来ました。昼休みの練習ではまず“太極その一”から行っていたため、最初の型である“平安その一”の代わりに“太極その1”を行ってしまいましたが、やり終えて指摘されるまで全く気がつきませんでした。ただ、この失敗でかえって緊張がほぐれたように思います。
 公認昇段審査会での10人組手は、最初の数人の先生,先輩との組手でスタミナが切れそうになり、また、何度も倒されてやり遂げることが出来るか不安でしたが、大石最高師範の叱咤激励や笠井先生、曽根先輩、静岡朝日道場の道場生や父兄の方々の励ましの声が聞こえ、また対戦相手を務めていただいた先生,先輩方の励ましのおかげでなんとか完遂することができました。しかし、その後行われた先輩・先生方の20人、30人、50人組手を拝見し自分の未熟さを感じました。特に、自分より5歳年上の北海道の高橋先生の筋金入りの50人組手を見て、年齢を理由に自分で限界を作ってはいけないと感じました。
 極真空手を始めてからの約8年間の間に、骨折数回や顔面骨折で入院し短期間ではありますが記憶を失うという経験をして、家族をはじめ、職場などにも心配をかけました。しかし、極真空手のおかげで体力だけでなく、精神面が強くなり、仕事にも良い影響を与えていると思います。
 今後は、笠井先生、松浦先輩、曽根先輩の指導方法やWEBマガジンの大石最高師範の指導方法などを参考にしながらさらに稽古を重ね、指導員として技術だけでなく極真空手の精神を少しでも多く道場生に伝えていけるように頑張っていきたいと思います。

押 忍