極真会館 太田道場(岐阜・高山道場)
服部 誠


 自分が空手に興味を持ったもは、今から32年前の小学校1年生の時で、当時、高山に1つだけ道場があり、約4年間通いました。 それから12年後の23歳の時に極真空手のポスターを見つけて、戸惑いもありましたが、入門することにしました。 
極真空手はとても痛く、息苦しく、過酷で、とてもびっくりしました。 しかし途中で辞めようとは思いませんでした。 それは、小学生の時、茶帯で辞めてしまっていたので、どうしても黒帯を締めたかったからです。

 それから10年後の33歳の時に昇段審査を受けさせていただきました。 未知の領域でどうなるのか想像も出来ませんでした。 10人組手の最後は意識がもうろうとして、立っているのがやっとで、あまり覚えていません。  結局、結果は不合格でいた。 黒帯に憧れていましたので、正直ショックでした。 昔の自分なら、この時点で辞めていたかもしれません。 辞めることは、簡単でした。 しかし、黒帯の道もなくなります。 また、いつか二度目のチャンスを信じて稽古に励みました。

 それから4年後の平成18年10月に約10年間お世話になった空手道場を退会することにしました。 そして、高山にこの年の12月10日に極真空手岐阜県太田道場の太田清貴支部長に常設道場を開いていただき、先輩方と共に自分も入門と同時に道場開きに参加させていただきました。 こちらの道場で稽古をしてみて思ったのが、特に基本と型に対して厳しいなぁと思いました。 自分は、空手は組手さえ強ければ良いと思っていたので、とても恥ずかしい結果でした。 そのおかげで、今まで習った事のない型を幾つも教えていただきました。

 それから数ヶ月が経ったある日、平成20年12月に昇段審査の許可をいただきました。 この時、空手を続けてきて本当に良かったなぁと思いました。 目標が出来た事により今まで以上に稽古に没頭しました。 平成20年12月7日、道場開きから約2年、遂に2度目の昇段審査の日が来ました。 1回目の時とは違い、その辛さを経験している分、色々な事が頭の中をよぎって行きました。 いざ、審査が始まると緊張で、1つ1つこなして行くのがやっとでした。 基本、移動、補強、型が終わって最後に10人組手をやりました。 相変わらず立っているだけでやっとでしたが、審査も無事終わりました。 自分は、この16年の間に言葉では言い表せない程のドラマと挫折と苦労があったと思います。 この経験を生かして益々日々稽古に指導に励んで行きたいと思います。

 最後に昇段審査を許可して下さった太田支部長、審査会場の準備から審査の進行、10人組手の相手を務めていただいた岐阜の道場生の方々、応援して下さった岐阜道場のみなさん、高山道場から応援に来て下さった保護者の方々、道場生のみなさん、16年間マンツーマンで指導して下さった塩田先輩、みなさん本当にありがとうございました。

押 忍