古井 聡 初段(岐阜 太田道場)
〜2010年5月30日取得〜

 自分が極真空手との出会いは、26歳の当時の職場の同僚が半年前から初めており、何気に誘われたことからでした、この時の誘いがなければ極真空手を知らずに、年齢を重ねた普通の社会人だったと思います。今では僕の人生の大切な一部であると感じています。
 入門し空手の日々苦しさはありましたが、日々ストレス発散と身体を精一杯に動かせる喜びを感じていました。白帯の時は、初めて昇級審査では、ジャンピングスクワット30回もできず、力のなさを感じました。しかしこんな僕でも、よき先輩と後輩に恵まれたこと、空手の強さへのあこがれと、精神性に次第の引かれていく自分がありました。そんな毎日が続き、少しは成長し先生より中津川道場の、準指導員を任されることになりました。
 道場での指導する日々は、自分を成長できることでもあり自分なりに精一杯な毎回でした。仲間、先輩、後輩には、いつも自分に足りないものを吸収させてもらっています。
 茶帯を取得したのが、31歳を過ぎであり、それから2年ほど経過した時期に、太田先生より全日本ウェイト制軽量級への出場へ機会をいただきました。小、中学校での自分は、いじめられっ子の方だったと思います。そんな僕が全日本ウェイト制に出場するまでになったとコート上で感じたのを覚えています。当時あの場での緊張は並大抵ではありません。あの時あの場で感じた緊張感は僕にとっての人生の宝でありあれ以上緊張は未だにありません。35歳までは、現役で試合に出場しよう。とにかく強くなりたい毎日、空手を考えない日はないぐらいでした。空手が僕の人生に一部であるといつも感じていました。36歳を過ぎ年齢を理由に、自分の中であきらめがあったのかもしれません。
 毎週の稽古、準指導員としての日々で、周りの先輩、後輩の姿を見て自分の足りたいものがまだまだある。太田先生には、すべて自分の弱さを見透かされていたと思います。
 昇段審査の前年に、太田先生に「本当は君たちが受けなきゃだめだよ」と言われこの時、先生の期待を裏切ってしまいました。
 37歳になり、今年こそはと、自分と家族に、昇段審査までは、目標を高くもって毎週、指導も入れて3回以上稽古に行き、試合にも出場しようをと誓いました。
太田先生より、平成22年5月30日の昇段審査の機会をいただくことができました。
昇段審査までは、色々考え基本、移動、型のどう全力ででき、落ち着き、疲れずできるか、どうしたら力を抜き、腹筋、拳立て、スクワットができるか自分なりに日頃の稽古から研究したつもりでした。
当日は、自分の10年間の稽古と思いをすべてぶつけて見ようと思い挑みましたが、身体が浮いたような感じがし緊張していたのでしょうか、体力、技がない分を心だけは、折れずにしよう思い望みました。基本、移動、型の後、補強では、もう精神的、肉体的にも精一杯でした。10人組手では、5人過ぎぐらいから全く、手も足も出ませんでした。受け止めるのに必死で、技も返せず自分自身がなさけないと何度も感じました。自分なりのプランを立てていたのですがそんな甘いものではありません。感動をあたえたいと少し考えたのですが、逆に気迫のある10人組手の相手の一人一人の思いを与えてもらったと思います。まだまだ10年ほど道半ばであり、少しでも太田先生に近づけるよう本当の黒帯を目指し初心を忘れず日々稽古していきたいと思います。
また、支えていただいた先輩、後輩を今度は、少しでも後押しできるよう日々の稽古、指導の補助ができえばと思います。そしていつか指導者として、全日本に出場できるような選手を育てみたいと夢を描いています。

押 忍